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礼拝について
2011.7.21

礼拝の意義

礼拝は、イスラームにおけるもっとも大事な信仰行為のひとつで、男性であれ女性であれ、全ての成人に達したムスリムにとって義務となっています。

聖クルアーンの中には、信徒たちに礼拝をきちんとするよう、指示する句がたくさんあります。

「礼拝をきちんと守りなさい。特に中間の礼拝(アスルの礼拝)を」

「まこと礼拝は、信徒たちに時を定めて命じられた」

ハディース(預言者言行録)によれば、預言者ムハンマド様は、次のように弟子たちに尋ねました。

「汝らの誰であれ、家の前に川があって、もし毎日五回水浴をしているとすれば、その身体が汚れているということはあるであろうか。」弟子たちが答えました――「いいえ、そのような人の身体には、何の汚れもありません」。預言者様はおっしゃいました――「そのようなものが日に五回の礼拝であって、それによって、アッラーが過ちを洗い流してくださるのです」

他のハディースでは、次のように言われています。

「信徒と不信仰者を分かつのは、礼拝をするか否かである」

「審判の日に、人間が最初に尋ねられるのは、礼拝のことである」

礼拝の準備

礼拝をしようと思うときは、次のことを守らなければなりません。

①第一の条件は、清潔さです。身体と衣服、そして礼拝をする場所を清潔にしなければなりません。

②二番目は、アウラ(人に見せない肌)の部分を、衣服で覆わなくてはなりません。男性の場合でも、肩は隠れていなければならず、女性の場合は、手と顔(学派によっては、更にくるぶしから足先)を除いて、全身に衣服を着けることが求められます。

③三番目は、礼拝の時間がはじまってから礼拝をすることです。礼拝は、定刻が来る前に行なっても有効になりません。

④聖地マッカにあるカアバ神殿の方向を向くことが、礼拝が有効になるための、四番目の条件です。

礼拝には、集団礼拝(他の人と一緒に行なう礼拝は、一人ひとりが別々に行なう礼拝の27倍も優れている)や、任意の礼拝、金曜礼拝、お祭り(イード)の礼拝などがあります。

*礼拝の仕方や決まりについては、礼拝ガイドに詳しく紹介されています。

 

イスラーム文化センター発刊「礼拝ガイド」から抜粋・参照

断食について
2011.7.21

断食の意義

イスラームにおける断食(サウム)は、明け方から日が沈むまで、飲食、喫煙、性的行為などを、完全に立つことを意味しています。

断食という修行は、主な宗教ではどこでも行っています。仏教にも、キリスト教やヒンドゥー教にも、断食があります。断食をする理由は、それぞれ異なっているかもしれません。身を清めるための断食もあれば、欲望をコントロールするための断食もあります。精神的な実践を行なうときに、集中力を高めるために断食をすることもあるでしょう。イスラームでも、そうしたことが断食の有益性を示していることを認めますが、根本の考え方は少し違います。ムスリムたちは、自分が唯一の神の僕(しもべ)であることを示すために断食し、それを通して神への畏敬の念を高めるのです。神に対する畏れは、断食をするムスリムが、のどの渇きと飢えを一日中我慢することができる源泉となっています。

断食をしているムスリムは、言い争いや無駄口、虚しい会話を避けるようにしなければなりません。預言者ムハンマド様はおっしゃいました。――「断食は(信仰心を守る)盾である。汝らの誰かが断食をしているときは、愚かなことを言ったり馬鹿げた行動をしないようにしなさい。もし誰かが悪口を投げかけたり口論を仕掛けようとしたならば、『私は断食中です』と言いなさい」。

断食はムスリムにとって大事な信仰行為であり、ラマダーン月には世界の全てのムスリムたちが断食の月を共有します。それを通じて、誰もが、人種、民族や国境を越える同胞精神を体得することができます。断食を通して、心と身体をひきしめ、日々の糧が神からの恵みであることをよく自覚します。食べられないことの辛さ、食べられることの素晴らしさを知っていきることは、人間としてとても大事なことです。

日本はイスラーム国ではないので、その中で断食をすることは容易ではありません。しかし、日本の通常の暮らしは日々の忙しさに流され、自らを省みる機会も少ないですから、ムスリムたちが自分達の帰依を実践(断食)し、創造主アッラーへの信仰心を深めることは、非常に大きな意義があります。無理は禁物ですが、自分なり努力・工夫をしながら、この大事な信仰行為に努めることができれば、信仰心がいっそう豊かになり、楽園における報奨も立派なものとなることでしょう。

イスラーム文化センター発刊「断食ガイド」より抜粋・参照

金融のはなし
2011.6.24

ムスリムが日常生活をする中で重視しているイスラーム法は、「人のあるべき生き方を示す道」という意味の「シャリア」と呼ばれていますが、中には、金融に関する決まりがあり、ムスリムの金利の受け払いや反道徳的な事業への投融資の禁止をしています。イスラーム法に則った金融取引・サービスの総称のことをイスラム金融といいます。

イスラム金融の特徴は主に2つで説明できます。1つは、「金利の概念がない」という点です。イスラームの教義では、「利子(リバー)」を受け取ってはならないと定めています。

2つめの特徴は、「金融取引の関連する事業につき、シャリアに反するものは排除される」ということです。イスラームで禁止されている「豚肉やアルコールの摂取」「賭博」「武器」「ポルノ」「喫煙」などに関連した事業との取引(融資など)は禁止されます。

イスラム金融は、多国籍金融機関はもちろん、日本の金融市場でも注目され始めています。現在、イスラム金融が拡大する背景には、政治や経済、社会の構造変化の影響だけでなく、経済的合理性、非排他性、また社会的投資責任(SRI)などイスラム金融自体が持つ利点にイスラム世界のみならず、世界が着目し始めたといわれています。

日常生活の中では、利子払いの生じる買い物を避けたり、住宅を購入するためのローンを組まずに、賃貸住宅で暮らすことを選ぶムスリムがすくなくありません。また、国によっては、利子の返済などに関わらずに住宅の購入などが可能なイスラム銀行(Islamic Bank)のサービスを活用するムスリムもいます。

イスラム金融についてもっと知りたい

 

 

 

 

 

 

 

 

お墓のはなし
2011.6.24

イスラ-ムにおいて死は最後の日ではなく一時的な別れであって、死者はアッラーの審判の日に再び蘇ると信じられています。そのため、イスラムでは埋葬は全て土葬で行われます。死の確定後に遺体を清掃した後、告別式が行われますが、この告別式ではサラート・ル・ジャナーザ(告別の礼拝)と呼ばれる特別な礼拝をあげます。

サラート・ル・ジャナーザの際、遺体は決められた位置に安置します。遺体が男性であるか女性であるか、また男児であるか女児であるかによって遺体の安置される場所も異なるだけではなく、イマームの立つ位置も異なります。また、墓石の形はそれぞれの地域によって様々ですが、墓は全て聖地メッカの方向を向いており、遺体の頭もメッカに向くように埋葬されます。

日本においては、イスラーム霊園は数少なく、増え続ける日本在住ムスリムの人口からみれば、墓地の不足は明らかです。現在、山梨県と北海道にイスラーム霊園がありますが、全国に広く在住しているムスリムにとって、限られた地域にしか霊園がないというは非常に残念な状況といわざるをえません。

また、日本での埋葬のほかに、外国出身のムスリムの場合、遺体を母国への搬送することもあります。

日本で埋葬の場合、日本ムスリム協会または日本イスラム文化センターで埋葬の手続き等について問い合わせることができます。

食べ物のはなし
2011.6.24

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テロリズムのはなし
2011.6.24

慈悲の教えであるイスラームはテロリズムを認めていない。

クルアーンにはこうある。

(神は、宗教上のことであなたがたに戦いを仕掛けず、あなたがたを家から追放しなかった者たちに対してあなたがたが親切を尽くし、公正に待遇することを禁じられない。実に神は公正な者をお好みになられる。 )(クルアーン 60:8)

預言者ムハンマドは兵士たちに女性と子供を殺すことを禁じて、(*注2)彼らに次のような忠告をしていた。{…裏切ってはならない。度を越してはならない。生まれたばかりの赤子を殺すな。}(*注3) また次のようにも言った。{ムスリムと協定を結んだものを殺すものは誰でも、天国の香りを嗅ぐことはない。その香りは40年間もの距離に渡って漂っているにも関わらず、である。}(*注4)
また預言者ムハンマドは火で罰することを禁じた。(*注5)
またある時彼は殺人を2番目の大罪に挙げ、(*注6)次のように警告した。{審判の日に最初に裁かれるのは他人の血を流した人々である。(*注7)}(*注8)

ムスリムは動物に優しく接することを薦められており、それらを不正に傷つけることは禁じられている。預言者ムハンマドは申された。{ある女性は猫を死ぬまで閉じ込めたために罰せられ、そのために彼女は地獄に送られることになった。彼女は猫を閉じ込め、食事も水も与えなかった。放し飼いにして地面の虫を捕獲させることすら許さなかったのである。}(*注9)彼はまた、非常に喉の渇いた犬に水を与えた男が、神に過去に犯した罪を赦されたことについても語った。それについて人々は預言者に訊ねた。「預言者よ、畜獣にも(それらに対する善行による)報奨があるのですか?」預言者は言った。{「全ての生きとし生けるものには報奨がある。」}(*注10)

更に、食べる目的で動物を殺す場合、ムスリムはその動物の恐怖や苦しみをできるだけ少なくするように命じられている。預言者ムハンマドは言った。{動物を屠殺するときは、最もよい方法で行いなさい。ナイフをよく砥いで動物が苦しまないようにしなさい。}(*注11)

このような教えを含むイスラームのテキストの中では、無防備な市民の心に恐怖を与える行為や、建物や所有物の完全な破壊、無垢な人々や女性や子供を爆撃したり傷つけたりすることは全て禁じてられており、イスラームとムスリムにとって憎むべき行為となっている。ムスリムは平和、慈悲、寛容の教えに従っているのであり、彼らの大多数は現在ムスリムと結び付けられている諸々の野蛮な行為とは何の関わりもない。もしムスリムがテロ行為を犯すならば、その人物はイスラームの法を犯した罪人ということになる。

イスラミックセンター・ジャパン「図解イスラームガイド」より抜粋

服装のはなし
2011.6.24

「なぜムスリムの女性は、頭にスカーフを被っているのか?」

まるで女性だけが服装に規定を設けられ、窮屈な思いをさせられているような「抑圧的」なイスラームのイメージが世界に広く浸透しています。しかし、それは間違った「イメージ」であり、現代の西欧的ファッションに同化せず、女性としての尊厳と自由を忘れないムスリム女性の誇りの表現なのです。

実際、スカーフを被ったムスリムの女性に「抑圧されているの?」と聞いたことはありますか?そうでなくても、「可哀そうに・・・」と同情的な思いを寄せているとしたら、ご心配には及びません。きっと多くのムスリマ(ムスリムの女性)が、「自分の意思で」「喜びと誇りを持って」身体や頭部を被う(ヒジャブ)という服装を選んでいると、答えるでしょう。なぜなら、彼女たちはアッラーからのお恵みと、ヒジャブの本当の素晴らしさを理解しているからです。

イスラームでは、人間が尊厳を維持するため、男女ともに被うべき身体の部分について定めています。女性が明らかに、男性よりも多くの部分を被っているため、差別的という批判もあります。しかし、イスラームでは、男女を全く同じに取り扱うことが真の「男女平等」と考えていません。男女の肉体的、生理学的違いとそこから生ずる態度、ふるまい、好み、生き方を十分考慮に入れて精密に打ち出された「尊重とバランス」のシステムが、イスラームにはあります。一見、不平等に見えるかもしれないこのきまりは、人間社会の深部において実に理にかなったものであり、それは英知と調和と驚きに満ちています。

女性は、本来美しく、魅力的で繊細な人間です。娘であり、妻であり、そして母であるかけがえのない存在なのです。だからこそ、社会全体で大事に守っていかなければならない対象なのです。イスラームでは、女性を本当に大切にする教えがたくさんありますが、また一方で女性自身も自己に尊厳を持たせ、大切にしていく必要があります。

ヒジャブは、女性の尊厳や知性を尊重し、一人の人間として男性にも媚びることなく活動する自由を与えています。そしてまた、女性ゆえに受けてしまう望まぬトラブルや男女間の不要な過ちを未然に防ぐという社会防壁的な機能も果たしています。男女間の魅力や親密さが最も発揮される場が、夫婦関係においてのみ認められることで社会の秩序や家庭の幸せにつながっています。

今日、女性が自分の身体をオブジェ化して男の眼面にさらしている風潮が日本にもありますが、(人間としての)内面よりも(女性としての)外見が評価されることは、むしろ女性にとって非常に窮屈な社会ではないでしょうか。イスラーム世界では、女性が新車の横に裸同然の格好で立たされることもありませんし、混雑する乗物で痴漢行為を受けることもありません。服装ひとつで女性の扱い方に、天地の差が出るのは不合理でしょうが、それが現実です。であればこそ、女性は自分の服装に、自己の意思を表現することができるのです。ヒジャブによって女性的部分を隠したムスリマは、「人間として」堂々と社会に向き合い、尊重されるべき存在としての自分を選んでいるのです。

男女の平等
2011.6.24

男も女も、イスラームでは平等です。聖クルアーンは、

「男性でも女性でも、よい行いをする者が信仰者であり、彼らはみなが楽園にはいり、誰一人不当にあつかわれることはない」(女性章124節)

と名言しています。イスラームには、最初の女性(ハウワー)が最初の男性(アーダム)の肋骨から創られたがゆえに劣っている、というような信仰はありません。

ただし、男女が平等とということは、男女が同じということにはなりません。例えば、女性は子どもを生んで、人類を存続させます。男性が子どもを生むことはありません。それは、アッラーが生命体を「雌雄」に創造されたからだ、と考えます。

男女は平等、ただし違いはある、ということについて西欧では、本当に男女平等ではないと、と言う批判があるようです。イスラームでは、男女差を否定する平等論には賛成ではありません。人間の真実を前提とした平等論が、イスラームの考え方です。

(イスラーム文化センター発刊「イスラームという生き方」より抜粋)