Monthly Archives: June 2011

金融のはなし

ムスリムが日常生活をする中で重視しているイスラーム法は、「人のあるべき生き方を示す道」という意味の「シャリア」と呼ばれていますが、中には、金融に関する決まりがあり、ムスリムの金利の受け払いや反道徳的な事業への投融資の禁止をしています。イスラーム法に則った金融取引・サービスの総称のことをイスラム金融といいます。 イスラム金融の特徴は主に2つで説明できます。1つは、「金利の概念がない」という点です。イスラームの教義では、「利子(リバー)」を受け取ってはならないと定めています。 2つめの特徴は、「金融取引の関連する事業につき、シャリアに反するものは排除される」ということです。イスラームで禁止されている「豚肉やアルコールの摂取」「賭博」「武器」「ポルノ」「喫煙」などに関連した事業との取引(融資など)は禁止されます。 イスラム金融は、多国籍金融機関はもちろん、日本の金融市場でも注目され始めています。現在、イスラム金融が拡大する背景には、政治や経済、社会の構造変化の影響だけでなく、経済的合理性、非排他性、また社会的投資責任(SRI)などイスラム金融自体が持つ利点にイスラム世界のみならず、世界が着目し始めたといわれています。 日常生活の中では、利子払いの生じる買い物を避けたり、住宅を購入するためのローンを組まずに、賃貸住宅で暮らすことを選ぶムスリムがすくなくありません。また、国によっては、利子の返済などに関わらずに住宅の購入などが可能なイスラム銀行(Islamic Bank)のサービスを活用するムスリムもいます。 イスラム金融についてもっと知りたい                

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お墓のはなし

イスラ-ムにおいて死は最後の日ではなく一時的な別れであって、死者はアッラーの審判の日に再び蘇ると信じられています。そのため、イスラムでは埋葬は全て土葬で行われます。死の確定後に遺体を清掃した後、告別式が行われますが、この告別式ではサラート・ル・ジャナーザ(告別の礼拝)と呼ばれる特別な礼拝をあげます。 サラート・ル・ジャナーザの際、遺体は決められた位置に安置します。遺体が男性であるか女性であるか、また男児であるか女児であるかによって遺体の安置される場所も異なるだけではなく、イマームの立つ位置も異なります。また、墓石の形はそれぞれの地域によって様々ですが、墓は全て聖地メッカの方向を向いており、遺体の頭もメッカに向くように埋葬されます。 日本においては、イスラーム霊園は数少なく、増え続ける日本在住ムスリムの人口からみれば、墓地の不足は明らかです。現在、山梨県と北海道にイスラーム霊園がありますが、全国に広く在住しているムスリムにとって、限られた地域にしか霊園がないというは非常に残念な状況といわざるをえません。 また、日本での埋葬のほかに、外国出身のムスリムの場合、遺体を母国への搬送することもあります。 日本で埋葬の場合、日本ムスリム協会または日本イスラム文化センターで埋葬の手続き等について問い合わせることができます。

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食べ物のはなし

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テロリズムのはなし

慈悲の教えであるイスラームはテロリズムを認めていない。 クルアーンにはこうある。 (神は、宗教上のことであなたがたに戦いを仕掛けず、あなたがたを家から追放しなかった者たちに対してあなたがたが親切を尽くし、公正に待遇することを禁じられない。実に神は公正な者をお好みになられる。 )(クルアーン 60:8) 預言者ムハンマドは兵士たちに女性と子供を殺すことを禁じて、(*注2)彼らに次のような忠告をしていた。{…裏切ってはならない。度を越してはならない。生まれたばかりの赤子を殺すな。}(*注3) また次のようにも言った。{ムスリムと協定を結んだものを殺すものは誰でも、天国の香りを嗅ぐことはない。その香りは40年間もの距離に渡って漂っているにも関わらず、である。}(*注4)また預言者ムハンマドは火で罰することを禁じた。(*注5)またある時彼は殺人を2番目の大罪に挙げ、(*注6)次のように警告した。{審判の日に最初に裁かれるのは他人の血を流した人々である。(*注7)}(*注8) ムスリムは動物に優しく接することを薦められており、それらを不正に傷つけることは禁じられている。預言者ムハンマドは申された。{ある女性は猫を死ぬまで閉じ込めたために罰せられ、そのために彼女は地獄に送られることになった。彼女は猫を閉じ込め、食事も水も与えなかった。放し飼いにして地面の虫を捕獲させることすら許さなかったのである。}(*注9)彼はまた、非常に喉の渇いた犬に水を与えた男が、神に過去に犯した罪を赦されたことについても語った。それについて人々は預言者に訊ねた。「預言者よ、畜獣にも(それらに対する善行による)報奨があるのですか?」預言者は言った。{「全ての生きとし生けるものには報奨がある。」}(*注10) 更に、食べる目的で動物を殺す場合、ムスリムはその動物の恐怖や苦しみをできるだけ少なくするように命じられている。預言者ムハンマドは言った。{動物を屠殺するときは、最もよい方法で行いなさい。ナイフをよく砥いで動物が苦しまないようにしなさい。}(*注11) このような教えを含むイスラームのテキストの中では、無防備な市民の心に恐怖を与える行為や、建物や所有物の完全な破壊、無垢な人々や女性や子供を爆撃したり傷つけたりすることは全て禁じてられており、イスラームとムスリムにとって憎むべき行為となっている。ムスリムは平和、慈悲、寛容の教えに従っているのであり、彼らの大多数は現在ムスリムと結び付けられている諸々の野蛮な行為とは何の関わりもない。もしムスリムがテロ行為を犯すならば、その人物はイスラームの法を犯した罪人ということになる。 イスラミックセンター・ジャパン「図解イスラームガイド」より抜粋

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服装のはなし

「なぜムスリムの女性は、頭にスカーフを被っているのか?」 まるで女性だけが服装に規定を設けられ、窮屈な思いをさせられているような「抑圧的」なイスラームのイメージが世界に広く浸透しています。しかし、それは間違った「イメージ」であり、現代の西欧的ファッションに同化せず、女性としての尊厳と自由を忘れないムスリム女性の誇りの表現なのです。 実際、スカーフを被ったムスリムの女性に「抑圧されているの?」と聞いたことはありますか?そうでなくても、「可哀そうに・・・」と同情的な思いを寄せているとしたら、ご心配には及びません。きっと多くのムスリマ(ムスリムの女性)が、「自分の意思で」「喜びと誇りを持って」身体や頭部を被う(ヒジャブ)という服装を選んでいると、答えるでしょう。なぜなら、彼女たちはアッラーからのお恵みと、ヒジャブの本当の素晴らしさを理解しているからです。 イスラームでは、人間が尊厳を維持するため、男女ともに被うべき身体の部分について定めています。女性が明らかに、男性よりも多くの部分を被っているため、差別的という批判もあります。しかし、イスラームでは、男女を全く同じに取り扱うことが真の「男女平等」と考えていません。男女の肉体的、生理学的違いとそこから生ずる態度、ふるまい、好み、生き方を十分考慮に入れて精密に打ち出された「尊重とバランス」のシステムが、イスラームにはあります。一見、不平等に見えるかもしれないこのきまりは、人間社会の深部において実に理にかなったものであり、それは英知と調和と驚きに満ちています。 女性は、本来美しく、魅力的で繊細な人間です。娘であり、妻であり、そして母であるかけがえのない存在なのです。だからこそ、社会全体で大事に守っていかなければならない対象なのです。イスラームでは、女性を本当に大切にする教えがたくさんありますが、また一方で女性自身も自己に尊厳を持たせ、大切にしていく必要があります。 ヒジャブは、女性の尊厳や知性を尊重し、一人の人間として男性にも媚びることなく活動する自由を与えています。そしてまた、女性ゆえに受けてしまう望まぬトラブルや男女間の不要な過ちを未然に防ぐという社会防壁的な機能も果たしています。男女間の魅力や親密さが最も発揮される場が、夫婦関係においてのみ認められることで社会の秩序や家庭の幸せにつながっています。 今日、女性が自分の身体をオブジェ化して男の眼面にさらしている風潮が日本にもありますが、(人間としての)内面よりも(女性としての)外見が評価されることは、むしろ女性にとって非常に窮屈な社会ではないでしょうか。イスラーム世界では、女性が新車の横に裸同然の格好で立たされることもありませんし、混雑する乗物で痴漢行為を受けることもありません。服装ひとつで女性の扱い方に、天地の差が出るのは不合理でしょうが、それが現実です。であればこそ、女性は自分の服装に、自己の意思を表現することができるのです。ヒジャブによって女性的部分を隠したムスリマは、「人間として」堂々と社会に向き合い、尊重されるべき存在としての自分を選んでいるのです。

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男女の平等

男も女も、イスラームでは平等です。聖クルアーンは、 「男性でも女性でも、よい行いをする者が信仰者であり、彼らはみなが楽園にはいり、誰一人不当にあつかわれることはない」(女性章124節) と名言しています。イスラームには、最初の女性(ハウワー)が最初の男性(アーダム)の肋骨から創られたがゆえに劣っている、というような信仰はありません。 ただし、男女が平等とということは、男女が同じということにはなりません。例えば、女性は子どもを生んで、人類を存続させます。男性が子どもを生むことはありません。それは、アッラーが生命体を「雌雄」に創造されたからだ、と考えます。 男女は平等、ただし違いはある、ということについて西欧では、本当に男女平等ではないと、と言う批判があるようです。イスラームでは、男女差を否定する平等論には賛成ではありません。人間の真実を前提とした平等論が、イスラームの考え方です。 (イスラーム文化センター発刊「イスラームという生き方」より抜粋)

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First of lore

信者たちの長[1]、アブー・ハフス・ウマル・イブヌ=ル=ハッターブ[2]―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威[3]による。彼は伝えている。私はアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―が言われるのを聞いた。 行為とは意志にもとづくものであり、人はみな自らの意志した事柄の所有者である。したがってアッラーとその御使いのために聖遷に参加した者は、アッラーとその御使いのために聖遷[4]を行なったのであり、現世の利益、結婚相手の女のために聖遷に加わった者は、それらのために聖遷を行なったにすぎない。 この伝承は、伝承学の大家である2人のイマーム、アブー・アブドッラーフ・ムハンマド・イブン・イスマーイール・イブン・イブラーヒーム・イブヌ=ル=ムギーラ・イブン・バルディズバ・アルブハーリーと、アブ=ル=フサイン・ムスリム・イブヌ=ル=ハッジャージ・イブン・ムスリム・アルクシャイリー・アンナイサーブーリーの各『サヒーフ』[5]中に記載されている。ちなみにこの両『サヒーフ』は、著述[6]の中でももっとも信憑性の高いものという評価をうけている。 註: [1]1 アミール・ル・ムウミニーン/信者たちの長とは、カリフたちに与えられる呼称。 [1]2 第二代目正統カリフ 3 直接預言者から伝承を耳にしている人物を権威とした。伝承は普通以下のような鎖(伝承27註(3)参照)を持っている。「この伝承はEにより伝えられ たものである。EはDから、DはC、CはB、BはAから伝え聞き、Aは預言者が言われるのを聞いた。」この場合、もちろんAが権威となる。ち なみに本書では煩雑を避け、多くの場合B以下は省略されている。 [1]4 聖遷はマッカ(メッカ)からアルマディーナ(メディナ)へのムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)の移住を指す。 5『サヒーフ』は「真正伝承大成」の意。本文中にあるように、アルブハーリーとムスリムの『サヒーフ』は伝承学中で欠かすことの出来ない重要な集大成。 [1]6 ここでは伝承集成の著述をさす。  

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Preface of Imam An'nawau~i

讃えあれアッラー、万世の主、諸天と大地をくまなくしろしめし、万物を宰べられる御方。まぎれもない徴、明白な証をもって正しい導きを広め、宗教の掟を説くために遣わされた御使いたちの派遣者。アッラーよ、これらすべての御使いに祝福と平安を授けたまえ。また私は、その恵みたもうすべての恩籠のゆえに心からアッラーを讃え、いやます恩恵、慈愛を乞い願う者である。またアッラーの他に神はなく、アッラーこそは並びない唯一の神にして、凌威この上もなく、惜みない恩恵と赦しの与え手であることを誓言するとともに、われわれの長ムハンマドがアッラーの下僕、御使いであり、その賞で愛したまう者であると証言する。ムハンマドはいつの世までも奇蹟たりつづける尊きクルアーンと、導きを求める者みなに光明を投げかけるその言行のゆえに、格別の栄誉を授けられた、よろずの被造者に優る者である。われわれの長ムハンマドは、その確たる言葉、宗教的実践に示した寛容の精神において比類のない者である。アッラーよ、彼とその余の預言者たち、御使いたち、ならびに彼らの一族のすべてと他の敬虔な信者たちに祝福と平安を授けたまえ。 次に引くアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―の言葉は、アリー・イブン・アブー・ターリブ、アブドッラーフ・イブン・マスウード、ムアーズ・イブン・ジャバル、アブッ=ダルダーウ、イブン・ウマル、イブン・アッバース、アナス・イブン・マーリク、アブー・フライラ、アブー・サィード=ル=フドリー ―アッラーよ彼らすべてを嘉したまえ―の権威に基づき、さまざまな伝承の鎖を経て種々のかたちで伝えられている。 「われらが民のため、その宗教に関する40の伝承を記憶し、伝えた者は、審判の日にアッラーにより法学者、宗教学者の一員に加えられるであろう。」 他の伝承によれば〔後半の部分は〕、「アッラーは審判の日に彼を法学者、宗教学者となされるであろう」、となっている。またアブッ=ダルダーウの伝承では、「審判の日に私は彼のとりなし手、証人となろう」、イブン・マスウードの伝承では、「彼は伝えられるであろう。『望みの門から楽園に入れ』」となっている。イブン・ウマルの伝承は、「宗教学者の一人として登録され、来世において殉教者として生れかわるであろう」としているが、伝承学者たちは、この伝承には数多くの鎖があるが、信憑性の弱いものであるという点で意見が一致している。 宗教学者たち―アッラーよ彼らを嘉したまえ―は、このような趣旨から無数の著書を著している。私の知る限りでは、最初にこのような著作〔40の伝承の編著〕をものしたのはアブドッラーフ・イブヌ=ル=ムバーラクであり、ついで神性について通暁した学者イブン・アスラム・アットゥーシー、アルハサン・イブン・スフヤーン・アンナサーイー、アブー・バクル・アルアージュッリー、アブー・バクル・ムハンマド・イブン・イブラーヒーム・アルイスファハーニー、アッダーラクトニー、アルハーキム、アブー・スアイム、アブー・アブドッラフマーン・アッスラミー、アブー・サイード・アルマーリーニー、アブー・ウスマーン・アッサーブーニー、アブドッラーフ・イブン・ムハンマド・アルアンサーリー・アブー・バクル・アルバイハキー等、上代、後代を通じて無数の人々がこうした著述を行なっている。 私は、これらイスラームの卓越した指導者、宗教の護り手を模倣して40の伝承を編むにあたり、至高のアッラーの良き導きを求めた。 宗教学者は、それが善行に関わるものである限り、信憑性の弱い伝承をも実行に移すことを許している。ただし私はそのような伝承によらず、御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―の正しい伝承にのみ依拠した。〔その中には次のような言葉がある。〕「なんじらの証人には、その場に居合せぬ者に〔真実を〕伝えさせよ。」また御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―の言葉には、つぎのようなものもある。「アッラーよ、私の言葉を耳にしてそれを心に誦んじ、耳にしたそのままを伝える者〔の顔に〕輝きを与えたまえ。」またある宗教学者たちは、宗教の基本要項またはそれから分れた諸細目、例えば聖戦や禁欲的修行、あるいは立居振舞いの規範、説教といった特定の問題に関して40の伝承を編んでいる。これらの著述はすべて正しい意図のもとに成されており、このような意図をもつ者はアッラーの御心にかなう者といえよう。ただし私は、この40の伝承の編著を先にあげたものよりー層重要であると考えている。40の伝承は上述の趣旨すべてを包合し、同時にその一々の伝承は、宗教学者が「イスラームの要」、「イスラームの大半」、「イスラームの3分の1」等と述べたような、偉大な宗教的礎の一つに当るものでなくてはならない。さらにこの編著においては、各々の伝承は真正疑うべからざるものであり、その大半がアルブハーリーとムスリムの『サヒーフ』から引用さるべきであろう。引用にあたり私は、アッラーの御心のもとに暗誦を容易ならしめ、その利益をさらに一般的なものとするために、〔煩雑な〕伝承の鎖を記すことをせず、後に難解な表現を明らかにする註釈を付した。 来世に心を至す者はすべて、ここに引かれた諸伝承に精通しなければならない。これらはきわめて重要な事柄を含んでいるとともに、〔アッラーにたいする〕従順の諸相に関する警告を備えもっているのだから。問題を熟慮する者にとっては、ことは明白である。ひとえにアッラーを信じ、アッラーのみに縋り、帰依したてまつる。讃嘆と恩寵の主にして、成功と〔誤謬を許さぬ〕清浄さの源たる御方に。

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