断食について

断食の意義

イスラームにおける断食(サウム)は、明け方から日が沈むまで、飲食、喫煙、性的行為などを、完全に立つことを意味しています。

断食という修行は、主な宗教ではどこでも行っています。仏教にも、キリスト教やヒンドゥー教にも、断食があります。断食をする理由は、それぞれ異なっているかもしれません。身を清めるための断食もあれば、欲望をコントロールするための断食もあります。精神的な実践を行なうときに、集中力を高めるために断食をすることもあるでしょう。イスラームでも、そうしたことが断食の有益性を示していることを認めますが、根本の考え方は少し違います。ムスリムたちは、自分が唯一の神の僕(しもべ)であることを示すために断食し、それを通して神への畏敬の念を高めるのです。神に対する畏れは、断食をするムスリムが、のどの渇きと飢えを一日中我慢することができる源泉となっています。

断食をしているムスリムは、言い争いや無駄口、虚しい会話を避けるようにしなければなりません。預言者ムハンマド様はおっしゃいました。――「断食は(信仰心を守る)盾である。汝らの誰かが断食をしているときは、愚かなことを言ったり馬鹿げた行動をしないようにしなさい。もし誰かが悪口を投げかけたり口論を仕掛けようとしたならば、『私は断食中です』と言いなさい」。

断食はムスリムにとって大事な信仰行為であり、ラマダーン月には世界の全てのムスリムたちが断食の月を共有します。それを通じて、誰もが、人種、民族や国境を越える同胞精神を体得することができます。断食を通して、心と身体をひきしめ、日々の糧が神からの恵みであることをよく自覚します。食べられないことの辛さ、食べられることの素晴らしさを知っていきることは、人間としてとても大事なことです。

日本はイスラーム国ではないので、その中で断食をすることは容易ではありません。しかし、日本の通常の暮らしは日々の忙しさに流され、自らを省みる機会も少ないですから、ムスリムたちが自分達の帰依を実践(断食)し、創造主アッラーへの信仰心を深めることは、非常に大きな意義があります。無理は禁物ですが、自分なり努力・工夫をしながら、この大事な信仰行為に努めることができれば、信仰心がいっそう豊かになり、楽園における報奨も立派なものとなることでしょう。

イスラーム文化センター発刊「断食ガイド」より抜粋・参照